「蒐集家の仲間」
以下に記す物語は三十年以上前に聞いたものである。それを私に語ってくれた人は当時すでに老齢であった。彼はドイツとの前の戦争が終わって間もなく亡くなったので、それをここで繰り返しても迷惑はかかるまい。彼の名前はアーサー・ハーバートンという。彼が若い時分に体験した出来事だから、一八七〇年から数年内に起こったことと思われる。その内容を書き留めておいた当時のメモがあるので、今ここに、彼の言葉をほぼそのままの形で再現しよう。
「聖職に就いてから三年後、ケンブリッジ大の説教師の口を紹介されてね。自分にはそういう類いの職が向いているとずっと思っていたし、少なくとも数年はやっていけそうだったから、二つ返事で引き受けた。後悔はしておらんよ。残りの人生を学業に捧げなかったことも。
私は学監ではなかったし、当時は聖職者の資格を持つ研究員の数も今よりずっと多かったから、日曜日に礼拝堂で必要とされることはめったになかった。そういうわけで、私はよく大学のあるイーリーの主教区を回って、地方の教会をあちこち訪ねていた。若い時分とは言え、別に自分の説教師としての能力を過信していたわけではない。うぬぼれではなく(そうであってほしいものだが)、そうやって時々違う人の説教を聞くのは村の信者たちにとっても新鮮だろうし、現職の牧師がその場にいれば、彼にとってもいい刺激になるだろうと思ったんだ。ただ、牧師はいつもいるわけではなかった。と言うのも、彼が短い休暇を取れるよう、私はいつも頼まれればその日一日の務めを丸々引き受けるつもりでいたからね。
だいたいにおいて、そうした遠出はとても楽しいものだった。短い列車の旅から始まって、次に駅から馬車に乗って、時には十五キロにも及ぶ遠乗りだ。当時の田舎道というのは、文字通り田舎の道だった。タールと砕石で真っ黒に舗装されてもいなかったし、自動車は言うまでもなく知られていなかった。時おり、赤い旗を持った徒歩の先導者の後を走る牽引車がいたが、道中出くわしそうな目障りなものといったらそれくらいのものだ。私を迎えに来てくれるのはたいてい一頭立ての軽馬車で、そうして時速十二から十五キロで馬車に揺られながら、垣根の向こうを流れていく風景を眺めて、その地方がどのような場所なのかをじっくりと観察することができた。
私を招待してくれる牧師はおおむね面白い人ばかりだった。彼らはたいていその土地で生まれた人で、まわりの環境に自然と馴染んでいた。多くは広範にわたる興味を持っていて(時には真の叡智を蓄えていた)、そしてよそから来た者にそれを語って聞かせることにやぶさかではなかった。彼らが休暇に出かけて牧師館に私一人だけになった時などは、蔵書や壁に掛けられている絵画から主人の人となりを想像してみるのも一興だった。
ほとんどの教会、そして牧師館の多くにも建築学的に興味深いところがあって、私はそれに強く心惹かれた。それに、教区委員や墓守、その他教区内で何らかの役職を持っている人たちとの会話も楽しかった。そう言えば、ハンティングドンはいい街だと聞いたことがあるという教区役人がいたな(農夫だったと思う)。彼自身はセント・ネオツより遠くには行ったことがなかった。私がケンブリッジに住んでいると言った時、彼にとっては北京とかトンブクトゥと言われているのと同じだっただろう。
別の村では、学校の校長先生が初等教育で抽象的なことを教えることに反対していてね。自分が担当している教科だけではなくて、教育全般でだよ。その先生が言うには、子供たちが落ち着かなくなって、地に足のついた考え方ができなくなるからだそうだ。もちろん、そういう意見にも一理あるんだろうけれど、私としては、この人は本当に適任なんだろうかと思わずにはいられなかった。まあ――田舎の方も今ではずいぶん洗練されてしまってね。それによって得るものと失うもの、どちらの方が多いのかについてここで語っても、君には退屈なだけだろう。
ともかくそういうわけで、私はそうした遠出を楽しみにしていた。実際、もう二度と訪れたくないと思った場所は一つだけで、そしてその一つというのが、これから君に話すことなんだ。それでも、そこに行ったことを一から十まで後悔しているわけではないよ。なにしろ珍しい体験ではあったから。
秋学期が終わる頃、主教の秘書から一通の手紙が届いてね。次の日曜日に、ケンブリッジから四十キロ(どの方角かは伏せさせてもらうよ)のところにある村で朝夕二回の説教をしてもらえないかというんだ。どうやら当地の牧師の具合があまり良くないらしくて、牧師補はいないので、その日の礼拝を一人でやり通すのは無理そうだという。当日は降臨節の第二日曜日だったから、私としてはこうして直前に説教を頼まれても困ることはなかった。祈祷書には降臨節の第一から第四日曜日に読むための祈祷文と使徒書簡の抜粋がそれぞれ用意されているので、それをもとに説教を考えればいい。それに、この時期はとりわけ私のお気に入りの話題なのだ。
土曜日の午後の行きの便と、月曜日の朝の帰りの便ともに、最寄り駅で都合のいい時間の列車が出ていることがわかったので、私は承諾の旨の電報を出すと、私を迎えてくれる牧師に手紙を書いて、到着の日時を伝えた。
道路沿いの鉄道駅に下り立ったのは三時を少し過ぎた頃だった。馬丁が一人、軽装馬車で迎えに来てくれていて、自ら出てこられないことを詫びる牧師からの手紙を渡された。具合が悪いことは前もって聞いていたので、私も本人が出てきてくれるとは思っていなかった。彼のことはメルローズ牧師と呼ぼう。
馬車が駅を離れると、私は馬丁に尋ねた。『メルローズ師ですが、お身体はたいそうお悪いんでしょうか?』
『いいえ』彼は答えた。『でも、時おりえらく変になることはありますがね。よくあることで。そういう雰囲気の時になると――いや、あたしなんかが説明するようなことじゃありませんやね。おわかりいただけるでしょう、先生?」
私には何のことかよくわからなかったが、あまり細かいことを聞くのも失礼に思えた。それに、どのみち口数ばかり多くてあまり中身のない話なのではないかという気もした。しかしながら相手は話したそうな様子で、それならばと私も耳を傾けた。
メルローズ師は裕福で独り身ということだった。『外国(げえこく)に行きなさった』ことがあって、これは地元では問題行動だとみなされていてね、なぜかと言うと、外国人はみな黒人だと思われていて、黒人は何をしでかすかわからないからだそうだ。読書をよくする人で、私の連れ合いによればこれもまたいかがわしい傾向だった。と言うのも、良い本があるならば悪い本もあるわけで、『そんなもん後になんなきゃわかんねし、そん時ァもう後の祭りですわな』だそうだ。
ひと通り話を聞いてみて、メルローズ師は教区の人たちから慕われながらも、間違いなく恐れられてもいるという印象を受けた。これは常になく興味深い週末になりそうだと思った。蓋を開けてみれば、この期待は当たらずとも遠からずだったわけだが、それは最後まで聞いてもらえばわかるだろう。
十キロほど馬車に揺られた後、私たちは目的地に到着した。日は暮れかけていたが、牧師館が古い建物であることはわかった。平均よりもやや大きく、裏手にはかなりの広さの庭がありそうだった。日曜日の朝夕の礼拝の間に、建物と庭をじっくりと見物するのが楽しみだった。
メルローズ師はたいそう歓迎してくれた。背の高い人で、少し猫背だった。歳は七十くらいと私は判断した。おそらくそれよりも下ではなく、上だろう。白髪の頭はふさふさで、白く濃い眉毛が目を引いた。目は黒く、鼻は鷲鼻だった。全体的な印象は、学者肌で押し出しの強い感じだった。どこにいても人目を引いて、そして一度見たら忘れられない風貌だった。えらく男ぶりのいい人だなというのが、私の第一印象だった」
ハーバートン氏はここでしばらく言葉を切って、それから唐突にこう言った。「君はトンプソンに会ったことはあるかね? 六十六年から八十六年までトリニティ学寮の学寮長をしていた男だが」
「いえ」私は答えた。「僕が在籍していたのはそれより少し後ですから。でも肖像画は見たことがあります。リッチモンドの作でしたか」
「そうか。会っているはずはないな」彼は続けた。「うっかりしておったよ。それにしても光陰矢の如しだ。あの肖像画は本人の特徴を伝えてはおらんね。しかしながら、あの絵を知っているのなら、私がこれから言うことはわかってもらえるだろう。
私はトンプソンの顔をよく知っているのだが、私はこれまで、あれほど威厳のある顔の人間には会ったことがない。端整な顔と言えばそうだが、それ以上に、内面の能力というか力感というか、そういうものが溢れ出ているんだ。ひと目見れば偉人であることがわかる。しかしなぜかしら、私はあの顔が好きになれなかった。見れば必ず、そこには大いなる悪の可能性が秘められているような気がした。あの男が極悪非道な悪魔的所業に手を染めていても、私は意外だとは思わなかったろう」
私は言った。「確か、リッチモンドがライトフットの肖像画を描いた時、これほどはっきりと、紛う方なき人殺しの顎をしたモデルは初めてだと言い切ったんでしたね。それに、ライトフット主教をよく知っている人たちから聞いたんですが、彼は生まれつき気性が激しくて、それを完全に抑えていることも、その偉大さの一部なのだそうです。トンプソン氏の場合もそれと同じだったのかもしれませんよ」
「なるほど」ハーバートン氏は言った。「そうかもしれん。とにかく、それが私がメルローズ師から受けた印象だった。その時は馬鹿らしいことだと忘れようとしたがね。
厳めしい感じの広間の暖炉脇でお茶を飲んだ後、メルローズ師は何通か手紙を書かなくてはならず、郵便の受付が六時半までなので、夕食の時間まで失礼したいと告げた。二階に寝室と続きになった小さな書斎があって、そこにいるという。一階の広間から続く読書室を私は自由に使ってよく、必要ならば筆記用具もあるということだった。
読書室は大きな部屋で、ぐるりと四方の壁が書棚で覆われていた。ざっと見てみたところ、師は広く雑多な本読みのようだった。とりわけ後期新プラトン主義に関心があるようで、オルフェウス教に関する文献が豊富にそろっていた。窓辺にあるガラス天板の卓の上には、グノーシス主義の象徴や文字の刻まれた石のコレクションが置かれていた。隅の方にはエジプトのミイラを収める木棺が立ててある。暖炉前の卓の上には、私が到着した時まで師が読んでいたらしい本が一冊置かれていた。手に取ってみると、ピロストラトスの『ティアナのアポロニウス伝』だった。あちこちに栞が挟まれて、夥しい書き込みがされていた。そのいくつかを読んでみたかったが、あまりに無作法だと思い直してやめた。
明らかに、私は通常ならざる好奇心を持つ教養人であり、それを存分に満たすだけの財力を持つ人の家にいるのだった。
夕食の席では、師はとてもいい話し相手となってくれた。彼は広く旅をしていて、シチリア島やトランシルヴァニアなど、当時はまだ人跡まばらだった土地を訪れてもいた。トランシルヴァニアではかなり長い期間を過ごして、民間に伝わる恐ろしい伝説について入念な研究をしていた。
夕食はおいしかったし、メルローズ師も努めて愛想よくしてくれた。興味深い人物であることは間違いなかったが、私は自分が彼に対してどれくらい好意を持っているのか、さっぱりわからなかった。どことなく役を演じているような感じがしたんだ。しかし、この疑念に対する筋の通った根拠は見つからなかった。そもそも彼ほどの人物が、私のような若輩者を相手に自分を良く見せようとする必要がどこにあるというのだろう。
彼ほど博学な人が、こんな辺鄙な土地に引きこもって満足しているというのはおかしなことに思えた。もちろん、当時の郊外は今よりもずっと豊かだったし、田舎暮らしも現在に較べればもっと興味深いものだったのだろう。しかしメルローズ師のいるこの地域にはこれといった取り柄はなかった。土地の大半はもともとイーリーの主教管区に属していて、今は教会財産管理委員会が管理している。委員会は善良な地主なのだろうけれど、しかし当然ながら、農場の敷地内にある農家の建物を除けば、大きな邸宅などめったにない。農夫たちに囲まれてくつろいでいる師の姿など想像できないし、農夫たちだって話すこともないだろう。(メルローズ師は射撃も狩りもやらないそうで、あの当時そのどちらもたしなまない男子というのは、地方ではかなり浮いた存在だっただろうね)。
師がその教区の牧師を務めてもう三十年以上になると言った時、私は思わず驚きの言葉を口走ってしまい――いささか品のない行動だし、おそらくは失礼でもあっただろうが、しかし当時の私はまだまだ若かったのだ――、さぞかし寂しい暮らしを送っているだろうなどと言ってしまった。
師はこう答えた。『確かに。君にはそういう風に思えるだろうね。駅からの道はずいぶんと寂れておるから。しかし、ここにはやるべきことも興味を引かれることもたくさんある。それに、隣人の中には、君が思うよりもずっと付き合い甲斐のある者たちもおってね』
最後の発言は、その言い回し自体もそうだが、その口調も奇妙だった。そこには私にはわからない言外の意味があるようで、嫌な感じがした。それに続く師の笑いはさらに感じが悪かった。しかしながら、これについてはそれ以上話の続きはないようだった。おそらく彼は私のことをいささか図々しいと思っていたのかもしれないし、それはおそらくその通りだったのだろう。
私たちは読書室で食後のコーヒーを楽しんだが、そこでの会話はどういうわけか魔術や死霊術、そうした類いの話題に移っていった。大真面目というわけではないにせよ、私は昔からずっとそうした事柄に興味があって、しばしば思いを巡らせていたのだ。魔女たちが操る力が実際に存在すると信じられるようになるには、いったいどのような根拠があるのか、あるいはかつてはあったのかとね(もしあるとするならばだが)。
もう昔の話だから白状するがね、私は学生時代に一度、呪術の真似ごとをしてみたことがある。対象は当時の副学長で、私は顔も知らなかった。私の書いた戯曲が公権力に対して侮辱的であるという理由から、ケンブリッジ大のアマチュア劇団が公演することを許可してくれなくてね、恨んでいたんだ。そこで私にも可能なただ一つの報復手段を取ることにした。蝋人形を作って、自宅の炉棚の上に置いた。適当な呪文を唱えた後(今思い出せるのは、「天ヲ曲グルコトアタワザルナラバ冥府ヲ動カスマデ」【『アエネーイス』七巻十二行】というくだりだけだ)、人形の一方の足に針を刺した。
まさにその翌日、副学長が下宿先の階段を下りる際に片方の足首を捻挫したことを耳にした。正義が成されたような気がしたので、私はそれ以上のことはしなかった。しかし、君もわかってくれると思うが、そもそも冗談半分でやったことだったから、それが単なる偶然の一致では済まない、自分を責めなければならないようなことだなどとは思いもしなかった。どうしたものかこの話は外に漏れてしまってね、それに対する感想が私の耳にも届いたんだが、その中の一つに「宗教はどれもこれも、もっと乏しい証拠の上に成り立っている」というものがあった。言った者の名前は伏せるが、これはさすがに不謹慎だと私は今でも思っている。
メルローズ師の話は、私にはそれとはまったくの別物に思えた。彼は非常に望ましからぬことについて、必要以上に多くを知っているように思えてならなかった。その上、いかにも自分はそうした秘密に通じているといった風な態度が穏やかならぬ感じだった。その口調は自分が完全に習得した事柄について講義する者のそれで、その知識のうちの少なくともいくらかを、実験によって証明したような印象を受けた。そんな彼に私は薄気味の悪さだけでなく、何かしら邪悪なものを感じた。
とうとう、私はこういう結論に達した。師はジョゼフ・シェリダン・レ・ファニュの『サイラス叔父』に登場する、スウェーデンボルグを信奉するハンス・エマニュエル・ブライアリー博士の邪悪な戯画のようだとね。そういうわけで、彼がそろそろ寝ようかと言い出した時には心の底からほっとしたし、自分の部屋に鍵をかけることを怠らなかった。本当に危険が迫ってくればそんなものはたいした備えにもならないだろうけれど、それでも、幻想とは言え安心だと思えるだけでも気は休まった。
どれくらい眠っていたかはわからないが、目が覚めた時、突然の大きな物音で眠りを妨げられたような印象があった。教会の時計塔の音だろうと思ったものの、その晩それまでに鐘の音を聞いた覚えはなかった。あらためて眠りに戻ろうとしたちょうどその時、暖炉の火はすでに小さくなっているにもかかわらず、部屋の中が奇妙に明るいことに気がついた。火明かりではなかった。いつもの習慣で寝る前にカーテンを開けていたので、窓から光が射し込んでいたんだ。
月明かりではないかと君は言うかもしれない。しかしそうではないことは私にはわかっていた。一つ目に、月はまだ満ちるまで数日あったし、二つ目に、その光はどこか一方向から発されたものでもなかった。それは曇りの日の陽射しのように均一に拡散する光で、曇り夜空の月明かりがこんなに明るいわけはなかった。青みを帯びたその光は、不自然で不気味な感じがした。私は窓辺に歩み寄って外を見た。窓からは左右を濃い緑の生け垣で挟まれた、かなりの広さの芝生の庭が一望できた。後でわかったんだが、生け垣は躑躅だった。
芝生の庭は牧師館側から教会の方にかけてわずかな上り勾配になっていて、向かいの塀には教会墓地に通じる門があった。墓地と教会自体が、十二月の真夜中過ぎではなく真っ昼間であるかのようにはっきりと見えていた。それでいて、その左右は何もかも真っ暗だった。それはまるで明かりの灯されたトンネルの中を覗き込んでいるかのような感じで、反対側の端から今にも何かが現れるのではないかという気がした。私は勇を鼓して待った。
長くはかからなかった。教会墓地の塀の門から、メルローズ師が現れた。僧服の上から長く黒いマントを羽織っているようだった。司教冠(ミトラ)にも似た高く尖った帽子をかぶり、右手には短い牧杖を持って、牧師館に向かって芝生を真っ直ぐこちらにやって来る。こちらから相手がはっきり見えているのなら、向こうにも同じように私のことが見えているのだろうかと思って、そうでないことを願った。とにかく、彼の行動を最後まで見届けたかった。その背後にはいくつもの人影が続いていた。十二人だったと思うが、はっきりとは言えない。
明るい光に照らされてはいたものの、彼らは何やら不思議な感じにおぼろげだった。時おり奇妙な具合に重なり合ったりもした。とにかく、数を数えようとしても無駄であることがわかった。彼らは頭巾のついた長く黒いローブを着ていて、そのせいで顔は見えなかった。私はそれをありがたく思う気持ちの方が強かった。彼らの動きはかなりぎこちなくて、まるで操り人形のようだった。もちろん、芝生を踏む足音はまったく聞こえなかったが、その代わりに何かが軋むような微かな音がしていた。音の出所は定かではなかった。夜風が生け垣を揺らす音かもしれなかったが、しかし私はそうは思わなかった。
奇妙な行列は芝生の庭の真ん中まで進んだ。そこで師は足を止めて、他の者たちは彼を囲んで輪になった。いまだに彼らの人数はわからなかった。数えるたびに混乱して、違う数字になるんだ。
やがて師は拍子を取るように、と言うか、楽団の指揮を執るようにと言うか、どのように言い表すにせよ、手に持った牧杖を振り始めて、彼らはそれに合わせて踊り始めた。その動きはまだ操り人形を思わせるものではあったが、こちらが予想していた以上に素早かった。先刻から聞こえていた軋むような音がより明瞭になった。それがこの踊る者たちから発されているものであることは、もはや疑いの余地はなかった。
スティーブンスンの『カトリオーナ』の中で、脇役の一人の語る小話を覚えているかね。リース湾の魔法使い、トッド・ラプレイクについての挿話だ。彼は家の中で魂の抜けたような状態になることがよくあって、そして一度そういう状態になった時に、彼かあるいは彼の姿をした何かが、バス砦で一人、『黒き法悦に浸りながら』踊っているのを目撃されるくだりだ。あの時、私はその光景を見ながらこの言葉を思い浮かべていた。
私の見ていた踊りは、不浄なる『生きる喜び』――と呼ぶしかない何か――に端を発していた。彼らのどこまでを生きていると言っていいかはわからないがね。全体に、禍々しいほどに、名状しがたいほどに邪悪な雰囲気だった。それでいて何とも不思議なことに、私は怖いとは思わなかった。それまで自分のことを特に肝の据わっている人間だと思ったことはなかったし、自分が勇敢かそうでないかに気づくような機会もさほどなかった。しかしとにかく、その時はまったく恐怖を感じなかった。おそらくは、目の前の光景への関心のあまりの深さに、他のことが考えられなかったこともあるだろうし、それにまた、若さと胃腸の丈夫さは、それを持つ者をして、この世の様々な変化や危険を乗り越えさせてくれるものなのだ。
踊りはだんだんと早くなっていって、踊る者たちの輪も狭まっていった。それにつれて謎めいた光も縮んでいった。教会も、芝生の庭の大部分も見えなくなった。そこに見えるのはただ、長身の、じっと動かない人影と、そのまわりを渦のように――そう、この時分にはそれくらいの勢いになっていた――ぐるぐるぐるぐると回る、黒い死装束に身を包んだ者たちだけだった。この一団は、舞台の上で時おり特定の役者に光が当たるような具合に(スポットライトとか言うそうだが)闇の中に浮かび上がっていたが、しかしさっきまでと同じように、その光はどこか一方向から射しているようには思えなかった。芝生にまったく影が落ちていなかったのはおそらくそのせいだろう。
やがて踊る人たちは寄り集まって一つになり、そこで(そうなるだろうと予想されていた通り)、光が消えた。何も見えないし、何も聞こえなかった。芝生の庭は、いかにも十二月の月のない夜の真夜中から一時の間らしく、真っ暗で人気がなかった。窓辺から離れる時、窓のすぐそばのあたりで、けたたましい夜鷹の耳障りな啼き声(少なくとも私にはそう聞こえた)が一つ、夜の静寂を破った。そのすぐ後に、微かな忍び笑いの声が聞こえた。何がおかしかったにせよ、声の主には絶対に会いたくないと、そう感じさせるような声音だった。それから扉に鍵がかかっていることを確かめて、夜が明けるまで燃え続けるように暖炉に薪をくべると、ベッドに入った。自分でも驚いたことに、そのままあっさりと寝入ってしまった。
目が覚めた時にはあたりは明るくなりかけていた。ベッドから出て扉の鍵を開けた。朝食に呼ばれるのを待っている間、当然ながら数時間前の体験について思いを巡らせた。考えれば考えるほど、私の見たものは何もかも夢ではなく現実だったのだという確信が揺らいできた。私は昔からよく鮮明な夢を見る方だったが、しかししょせんは眠っている頭に浮かんだ幻像だし、真剣に考えるに値するものはなかった。ウィーン出身であれどこ出身であれ、嫌らしいことこの上ない精神分析医とやらが何と言おうともね。
八時に執事がお茶と身繕い用のお湯を持ってきてくれた。盆の上にはメルローズ師の手紙がのせてあって、いわく、恐縮ながら部屋を出ることができないという。教会の書記役が、教会内のどこに何があるかを案内する、どうか自分の家だと思って、必要なものがあれば何なりと言いつけてほしい云々。
『牧師様はたいそうお悪いのですか?』私は尋ねた。『医者を呼ぶとか、私に何かできることはありますか?』
『いいえ、先生。深刻なことではありません。ただ、よくある夜更かしの後は、決まって一日か二日下りていらっしゃいません」
相手がまだ何か言うものと思ってしばし待っていたが、執事はテーブルを離れてベッドに着替えを並べ始めた。そこで私は、年老いた人が夜に良く眠れないことはしばしばあることだし、ひと晩寝ずに過ごせばきっと身体にも堪えるだろうと、相手に話を合わせた。
これに対して、執事はただ『さようでございますな』と言っただけで、部屋を出ていった。
お茶を飲んでいる間、この日の聖書日課はおそらく自分が読むことになるだろうから、今のうちに確認しておくことにした。ベッド脇に聖書が置いてあったので、『イザヤ書』を開くと(君も覚えているだろうが、最初の聖書日課は五章にあるんだが)、たまたま最初に目に入ってきたのは八章の十九節だった。
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親しき霊を持つ者に、囀り、呟く魔術師に求めよ。
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偶然に決まっている。しかし着替えをしているうちに、私はだんだん自分は夢を見ていたのではなかったのだと考えるようになっていった。
その日は何ごともなく過ぎていった。夕べの祈りは三時からで、これは当時、冬の間、田舎の方では珍しいことではなかった。白状すると、これはありがたかった。暗い中あの芝生の庭を牧師館まで帰ると思うと、気が重かったのだ。言うまでもなく、礼拝が終わる時分には日は暮れかかっていて、教会墓地に通じるあの門を出た時、私は気味の悪い感覚を抱いた。あたかも見えない何者か、あるいは複数の者たちに、一挙一動を見られているような――私が達者でいることを良く思わない者たちに。
しかしながら、その時も、その後の夜の間も、おかしなことは何も起こらなかった。私は早くベッドに入って朝までぐっすり眠った。翌朝、執事がまたもやメルローズ師の手紙を持ってきた。お帰りの時まで会うことができないこと、一緒にいられる時間が少なかったことへの失望、そして私が不自由なく過ごすことができたのならいいがという願いが綴られていた。
最初の二つには、確かに私も本心ではがっかりしてはいたので、なるべく丁寧に返事をした。三つ目に関しては心からの感謝を述べた。私は朝食後すぐに辞去した。執事は話をする気がないようだったが、私を駅まで送ってくれた馬丁も同じだった。三日後、私はクリスマス休暇に出かけた」
ハーバートン氏は一、二分ほど黙っていたので、私は口を開いた――拍子抜けした気分だったことは認めなければならない――「それで終わりですか?」
「いや、まだだ」彼は答えた。「しかしこの話の結末としては、これを読んでもらった方がいいだろう」
氏は私に新聞の切り抜きを一枚手渡した。地方の週刊新聞だろうか。氏はそれを大きくて古風な感じの手帳から取り出した。その手帳は彼がいつも持ち歩いているもので、前にも見たことがあった。手渡された紙片は縦記事の一番下の段を切り抜いたもので、日付は見えなかった。私は三十年ほど前の記事だと判断した。以下がその文面である――
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牧師の奇妙な死
クリスマスの朝、悲痛な事件が【地名は入念に消されていた】を襲った。夜が明けて間もなく、墓守(ジョナス・デイ氏)がストーブに火を入れるために教会に向かった。南側の扉に近づいていくと、牧師の身体が、教会墓地から牧師館の庭に通じる四段の石段の上にうつぶせに倒れているのを発見して驚愕した。氏はすぐさま牧師館に向かい、執事(トーマス・ブロッグ氏)と馬丁(ヘンリー・ミーキン氏)を呼んだ。三名は牧師を彼の部屋まで運んだが、命の火花がすでに消えていることは一目瞭然だった。
連絡を受けたホリッジ医師が十時少し前にやって来た。その報告によれば、故人は首の骨が折れており、死後数時間が経過しているということだった。不幸にも、故人は翌日の準備がすべて整っていることを確かめるために夜遅くに教会に向かったものと思われる。石段は霜が降りて滑りやすくなっており、故人はランタンを持っていなかったようである。【名前は消されている】師は当教区に四十二年間奉職しており、この悲劇は、本来ならばこの日を包むはずであった祝祭的な気分に、濃い芳香のごとき翳りを落とした。
先月三十日、検屍審問が〈狐と葡萄〉亭で開かれ、ホリッジ医師が検屍官を務めた。ブロッグ氏は、故人がたびたび夜遅くに教会を訪れていたことを証言した。陪審員の一人から何の目的であったか知っているかを訊かれると、主人のなさることに好奇心から口を挟むことはしないと答えた。この返答は、検屍官の温かい賞賛の言葉を受けた。
デイ氏は、遺体に近づいた時、上着の背中に奇妙な跡がいくつかあることに気がついたと証言した。詳しい説明を求められた氏は、「泥まみれの爪痕のような」と答えた。ブロッグ氏もミーキン氏もそれには気づかなかった。当該の上着が提出されたが、すでにブラシをかけられた後だった。検屍官はそれを梟、あるいは何らかの夜鳥が死後の故人にとまることで容易につき得るものだと考え、そして彼の説示に従って、陪審は「事故死」との判決を下した。葬儀は直ちに執り行われた。
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「この切り抜き、写しを取ってもいいですか?」私は尋ねた。
「かまわんよ。好きにしたまえ」ハーバートン氏は答えた。
私はそうした。