転生の池
ジョン・ホルトは小さな宿屋の入口に立って、微かな興奮を覚えつつ、宿の主人からスカースデイルまでの道順を聞いていた。踏み固められた道を避けて、徒歩でしか辿り着けない小さな高原を巡って、湖水地方を歩いて旅しているのだった。
厳つい顔の北国人で、宿の経営のかたわら羊飼いもしている主人は、丘の上を指差した。その低く太い声には親しげな北部訛りがあった。
「この道を行げるところまで真っ直ぐ行ぐとええ。それから高原さ下りて、羊の通り道を辿って〈鴉岩〉を過ぎて、てっぺんを越えたらすぐに街道さ出るんで」
「街道って、あんな高いところにですか?」ホルトは信じられないといった声を出した。
「んだ」しっかりとした声の返事があった。「その昔ローマ人がこさえた道で。その同じ道さ通って、〈長城〉を突破した蛮族どもがやって来てな、ランカスターまで片っ端から火を放っていきおったんです――」
「でも、確かランカスターで食い止めたんでしたよね」ホルトは尋ねたが、なぜそんな質問をしたのか自分でもさっぱりわからなかった。
「どうですかなァ」主人はゆっくりと答えた。「そんげ言うもんもおりますがね。でも今の街はその跡地に建てられたもんですけ、何とも言えませんなァ」そこでしばらく間があって、やがて彼は続けた。「アンブルサイドの町から、今でも焼け跡が見えます。レイブングラスに行ぐ途中にある小せえ砦跡からも」
ホルトは目を細め、これから自分が歩くことになる、遠く、陽光に照らされた道を見つめた。出発したくてうずうずしていた。しかし主人は話し好きで、その話も聞いているとなかなか興味深かった。
「すぐにわかりますけ。〈長城〉に突き当たるまで、高原のてっぺん沿いに槍みたいに真っ直ぐに続いとるんで。んで、その道さ十二キロばかり行ぐと、左手に〈柱石〉が――」
「ハシライシ、ですか?」ホルトは少し前のめりになって尋ねた。
「んだ。でっけえ石で。ローマ人がやって来だところだそうで。ここで左の方にまた踏み分け路があるんで、そいつを下っていぐんでさ。〈柱石〉さ建てた連中が戦場に行ぐ時に踏み固められてできた路だそうで」
「それで、その石は何に使われていたんです?」ホルトは亭主にというよりも独り言のように尋ねた。老主人はしばし考え込んでいたが、ややあって答えた。
「そっただことに詳しいもんがおりましてな、そいつはそれを〈物見の岩〉て呼んどりましたわ。なんでも、夏至の朝は太陽がその石の真上に昇って、〈流血ヶ池〉のちっちゃい窪地を照らすんだそうで。あそこにはストーンサークルとか言うんですかな、その、岩ッころさ輪っか描くように並べたもんがありましてな、昔はそこに生贄さ捧げとったんだとか」
主人はいったん言葉を切って黒いパイプを吸った。「そいつの言う通りかもしれませんなあ。確かにあだしも、そっただ感じの岩ッころがごろごろしているのを見だことがありますけ」
これほど熱心に聞いてくれる客人に向かって、主人は機嫌良さそうに語った。その話の間、ホルトが奇妙な素振りを見せたのに彼は気づかなかったか、あるいは出かけたくてうずうずしていると思ったのかもしれない。
陽射しはあたたかく、木々の生えていない丘を吹き下りてくる風が、溜め息のような音をたてて二人の間を通り抜けた。ホルトは上着のボタンを留めた。
「ルチガイケ?」
「んだんだ。〈流血〉と書いて〈ルチ〉と読むんで」
「流血の池、ですか――山あいの池につけるには奇妙な名前ですね」そう言って、ホルトは宿の主人の顔を期待するように見つめた。
「んだなあ。でもながながええ名前ですだ」と、のんびりした口調の返事があった。「あだしがガキの時分に年寄り連中がよう話しとりましたがね、蛮族どもが三人のローマ人の捕虜さ崖の上からその池に投げ込んだんだそうで。それについて書かれた本もあって。生贄さ捧げたいう話ですが、あだしに言わせりゃ、おおかた囚人さ引っ張っていくのが面倒になったってとこでしょうなあ。とにかく、本には生贄て書いてありました。そう言えば、そのうちの一人は〈長城〉のそばにある異教の寺院の僧侶で、あとの二人はその坊さんの娘と、その恋人だったそうで」そう言って老主人はがははと声を上げて笑った。少なくとも喉で奇妙な音を鳴らした。
どうやらこの主人はこの話を眉唾ものだと思いながらも、迷信深くもあるようだった。「学のあるお方々が何と言おうとも、しょせんは古い言い伝えですだ」と、彼は言い添えた。
「寂しい場所ですね」ホルトは好奇心にふと微かな畏敬の念が加わっているのを自覚していた。
「んだ。それにひでえ場所で。毎年〈鴉岩〉にゃ羊を持っでいがれっし、霧さ深え時は人が落っこちることもあるぐれえで。路のすぐ横さあって、おまけにひどく滑りやすぐでなあ。下の池まで三十メートル真っ逆さまだ。霧さ出どるようだったら、〈流血ヶ池〉は迂回して、あそこには登らん方がええですだ。釣り? んだなァ、池にはずいぶん立派な鱒がおるにはおるが、あんまり釣れはせんですなあ。たまあに、タイソンの農場におる羊飼いの若ぇのがカワウソさ捕まえようとしたりもしますがな、それでも夜には長居はせんです。日が沈む前にさっさと引き上げてきますだ」
「なるほど。迷信深いんですね」
「日が暮れてくると薄気味の悪い、危なっかしい場所ですけ」ややあって老主人はそう答えた。「このあたりの連中は夜には誰も近づきたがらんですだ。羊ッこさ放しどくにはとっておきの場所なんですがなあ――それでも、タイソンんとこの羊飼いも、誰一人あそこに小屋さ建てて住もうとはせんですだ」
主人はここで再び言葉を切って、やがて意味ありげな感じで付け加えた。「んだども、余所もんはそっただことも気にならんようです。あたしら地元のもんだけで――」
「余所者ですって!」まさにそのちょっとした知らせをずっと待っていたのだとばかりに、ホルトは語気強く繰り返した。「まさかあんな山の上に人が住んでいるなんてことはないですよね」不思議な戦慄が彼の身体を駆け巡った。
「それが住んどるんです」宿の主人は答えた。「おかしな連中でなあ――男とその娘っこなんですがな。毎年春になるとやって来る。今年はまだ早いですが、いや……そう言えば、ジム・バックハウスが、これもタイソンとこで働いとる男衆なんだども、先週あの二人のことさ話しとったです」と、主人は黙って考えていたが、「じゃあ今年もまた帰ってきたんですな」と、きっぱりとした口調で続けた。「農場に乳さもらいに来どったそうで」
「それで、その二人はいったい全体あんなところで何をしているんです?」
ホルトは他にも数多くの質問をしたが、老主人の答えは内容に乏しく、消極的だった。〈鴉岩〉や〈流血ヶ池〉、古い言い伝えや古代ローマ人のことならば何時間でも話してくれるが、しかしこの二人の余所者のことになると口が重いのだった。ほとんど何も知らないか、あるいは話したくないのか。ホルトはおそらく前者だろうと思った。苦労して聞き出したところによると、二人は教養のある都会人で、裕福らしく、高原をぶらぶらしたり釣りをしたりして過ごしているのだという。その男も娘も裸足で、田舎者のような服装をして〈鴉岩〉の上にいる姿をたびたび見かけられていた。
「療治に来とるのかもしれんし、その父親って男が学のある先生で、〈長城〉の研究でもなさっとるのかもしれんです」――といった感じで、正確な情報はなかなか得られなかった。
主人はよその家のことに関心はなかったし、噂話をするにもこの地の住人はあまりに少なく、お互いに離れ過ぎていた。ホルトが聞き出すことができたのはこれだけだった――その父娘は数年前に交通事故に遭い、その結果として、毎年春になると、都会や今時の気忙しい生活を離れて、一切の人付き合いをせずに一月か二月そこで過ごすのだという。二人は誰にも迷惑をかけなかったし、地元の者たちも二人に干渉しなかった。
「その池のそばを通る時に姿を見かけるかもしれませんね」ホルトはそう話を締めくくり、出発の支度を整えた。収穫の少なさにがっかりし、これ以上質問しても無駄だと諦めることにした。朝の時間がもったいなかった。
「かもしれませんなあ」老主人は答えた。「路は二人の住んどる小屋の目の前を通ってスカースデイルまで真っ直ぐ続いとるです。〈鴉岩〉を越えていくもう一方の路の方が近道ですがの、そっちはがれ場さ登っていかんとならんでしんどいですだ」
主人はそれきり黙ってしまったが、やがてホルトが別れの挨拶を告げると、最後にこれだけ付け加えた。「あだしに言わせるなら、旦那さん、わざわざ行ぐだけの価値はねえです」
しかし、その「行く」というのがどこのことを意味しているのかははっきりしなかった。