紫サファイア

 一九二〇年六月二十四日、コスモポリ大学の鉱物学教授に任命されて数ヶ月後のことだった。私は大学博物館への寄贈品として、故クレメント・アークライト卿のまだ存命中だった遺言執行人から、極めて劇的な状況で、紫サファイアを受け取った。それが私の元に届けられた経緯は以下のようなものである――
 その日、医学教授ジョージ・アンボワン卿が私の事務室に入ってきて、机の上に一つの小包を置いた。
「君宛てにだよ。鉱物学部への寄贈品なのだが、それがなされた状況がなんとも悲惨なものでね。すぐ表の通りでご老人が車に轢かれてしまったんだ。重症だが、命に別状がなければいいんだがね。老人はここに運び込まれて、構内にいた私にお呼びがかかってね、病院に移されるのを待つ間に私が応急処置をしたんだ。老人は意識が回復すると、虫の息でこう言うんだ。『小包……小包は……?』。それは老人を運び込んだ守衛が持っていたもので、ご老人はそれを運んでいる最中で車に轢かれたんだ。それを見ると、老人は『博物館に……紫サファイアを……渡して……』とそこまで言ってまた気を失ってしまった。ほら、『コスモポリ大学 鉱物学者様』と書いてあるだろう。君が引き取るといい」
「いささか不吉な寄贈品ですね」私は感想を口にした。
「確かに」アンボワン教授は答えた。「開けてみようではないかね」
 包みを解くと、一番外側の包み紙の下には、「遺言執行人殿」と書かれた一通の封筒があった。封は切られており、中には帳面の頁が一枚入っていて、そこには以下のように書かれていた――

  この包みが私の死後二十五年間開けられることのないよう、私は心から願うものである。右期間の経過後、本品は私の直系の長子相続人に譲渡されること。箱の中には紫サファイアが入っている。これはジョージ・カーデュー大佐の次男より私がもらい受けたものである。その時までに持ち主に災いをもたらすこの石の悪しき力が弱まっているかどうかはわからないが、これを相続する者に、可能な限り早急に処分するよう、私は心の底から忠告する。
                               クレメント・アークライト準男爵

「ずいぶんと奇妙な遺言だな」アンボワン教授は言った。「中に何が入っているにせよ、あのご老人はこれを届けにくる途中だったようだな。とにかく、中身を見てみようじゃないか」
 中の包み紙をはぎ取ると、白檀の箱が出てきた。その中には、また別の白檀の箱がぴったりと収まっていた。その中にも、また同じ白檀の箱。七つの箱が入れ子になっていた。最後の一番小さな箱に、美しい模様の入った更紗の布に包まれて、紫サファイアが収められていた。
 それは例外なく、私がこれまで見てきた中でももっとも美しい宝石だった。完璧に磨き上げられ、ひときわ鮮やかな、アメジストを思わせる深い紫色で、チャボの卵を平たくしたくらいの大きさだった。台座はかごのような造りになっていた。二匹の銀の蛇が、それぞれ自らの尻尾をくわえて二つの輪をなしており、それが石の縁の部分を前後から挟み込んでいる。二つの輪はそれぞれに十二星座の印が刻まれた銀の装飾板でつながれ、固定されていた。片面には何かを吊るすためのものらしい銀の輪が二つ付いており、そこにかなりの年代物らしい銀の円盤が付けられて、蓋のように開閉できるようになっている。その表には神秘学や、いわゆる薔薇十字団の儀式などに詳しい者には〈タウの封印〉として知られる刻印(ギリシャ文字のTを、お馴染みの魔法の言葉〈アブラカタブラ〉と書かれた帯で囲んだもの)が刻まれている。この円盤のある方が、平たい石の裏側になる。面加工の施された宝石の表側には、エジプトの護符などによく見られるアメジストのスカラベ※1像が二つぶら下がっており、それぞれ太い銀の針金の先に固定されている。
 それが私たちのもとに届けられた事情のせいか、あるいは他に何か得体の知れない理由があるのか、その石を持っていると、私は気が遠くなるほどの吐き気と脱力感に襲われた。私は何も言わずにそれをアンボワン教授に手渡した。教授は手の中で裏側の円盤やスカラベ像をめくり上げたりしていたが、やがてそれを机の上に置くと、ひと言、
「なんと忌まわしい……」とだけ言った。
 私たちはしばらく無言のまま見つめ合っていたが、どちらも心の中で思っていることを口に出しはしなかった。たとえそうしたかったとしてもできなかっただろう。沈黙を先に破ったのは私の方だったが、それでも自分でも情けなくなるほどの頼りない声しか出てこなかった。
「真っ直ぐ博物館に持っていった方がいいでしょう」
「そうしよう。とにかく、早いところ手放してしまおう」そう言ったアンボワン教授は、知らず知らずのうちにクレメント・アークライト卿の忠告を守っていたのだった。
 白檀の箱の蓋の一つを盆代わりにして、私たちは紫サファイアを博物館に持っていき、入り口のそばにある、まだ登録や分類の済んでいない新規収蔵品を保管しておくためのガラス張りの陳列台の中に入れた。戻ってきた時、すでにあの老紳士(彼もアークライトという名前だった)は最寄りの病院に移送され、ポケットの中にあった手紙や名刺から所在のわかった親族に電話で連絡が取られていた。
 その日の午後、大学博物館の鉱物学部棟に雷が落ちた。計り知れないほどの価値のある展示品が数多く破損し、展示室が再び開かれ、使えるようになるまで数週間かかった。しかしながら、新規収蔵品の陳列台は無事だった。


 それから約一年が経った頃、〈ギルバート・アークライト卿〉と書かれた一枚の名刺が私の元に届けられた。紫サファイアのことは忘れもしなかった。交通事故に落雷にと、あの石が届けられたことに前後していろいろなことが起こったし、生徒たちはそれを〈不幸をもたらす石〉として訪問者たちに紹介し、ありとあらゆる突拍子もない話をこしらえてもいたのだった。助手たちや、さらには掃除婦までもがあの石を忌み嫌っていた。夜になると不気味に光るという噂もあって、私もよせばいいのに、とある冬の夜、消灯後に自分で確かめに行ったことがあった。何も見えはしなかったが――それでも正直に言うなら、(穏やかに表現しても)極めて不快な感覚を覚えた。まるで暗闇を怖がる子供のような気分だった。馬鹿馬鹿しい。
 とある掃除婦の話では、ある晩掃除をしていると、肌の黒い蛮人が、裸のまま、陳列台越しに自分を見つめていたそうで、彼女はまた鉱物学部棟に入るくらいなら仕事を辞めると断言までしたのだった。まったく馬鹿馬鹿しい。
 とにかく、名刺に続いて部屋に入ってきたギルバート・アークライト卿本人は、運動好きのイギリス人によくいる爽やかな若者で、年齢は三十代くらいだろうか。私のもの問いたげな眼差しに、彼はあっさりとこう答えた。
「こちらで〈紫サファイア〉をお持ちだと思うのですが。私の叔父が交通事故で死亡した日に、こちらに届けようとしていたものです」
 私はそれを聞いて茫然とし、たちまちあの石にまつわるもろもろの事情がいっせいに心に蘇ってきた。私がもごもごとお悔やみの文句を呟くと、彼はこう答えた。
「いえいえ。そのことはいいのです。もちろん痛ましい事件ではありましたが、私たち一族にはあれを最後に不幸は起こっていませんから。私の家の者はみな、あの石を見ることを禁じられていましてね。あの石は私の父や祖父の時代から伝わっていて、〈カーデュー家の呪い〉と呼ばれていたものなのです。私が今日おうかがいしたのは、ただこの手帳をお渡ししたかったからです。先日叔父の書類を整理していましたら出てきましてね。こちらでお持ちになった方がいいと思ったものですから」
 そう言って、彼は私の机の上に小さな四つ折り判の、安っぽい紙装丁の手帳を置いた。一頁目にはただ一行〈ナグプールのサファイア〉と、一八八五という年号だけが書かれていた。私は背筋がぞくりとするものを感じながら訪問者に相応の礼を言い、彼は帰っていった。
 その夜、私はその手帳を自宅に持ち帰り、夕食後にじっくりと読み始めた。書き込みがあるのはほんの数頁だったが(手帳というものはそういうものである)、そこに書かれた物語はあまりにも不気味で、常軌を逸しているので、まことに勝手ではあるが、ここにその全文を書き写す。手記の原本は今も鉱物学部の書庫にある(登録番号MM三b三六)。


    クレメント・アークライト卿の手記
 

 私は〈ナグプールのサファイア〉を、我が直系の子孫の誰かが保管ないし所有すること、あるいはその管理下に置くことを防ぐために、あらゆる手を尽くしたと願い、信じている。しかし私の一族の中には、それが極めて貴重な、途方もなく美しい宝石だという認識が広く流布しているため(それは事実なのだが)、いずれ好奇心あるいは利己心に駆られてあの石を手に入れようとする者が出てくるかもしれない。それゆえに、この手帳にそうしたことが起こってほしくないという、私なりの理由を記す。
 私が覚えている中でももっとも古い記憶の一つは、ジョージ・カーデュー大佐とその夫人のことである。二人はシュロップシャーにあるアークライト家の屋敷にほど近い村の外れに、粗末でちっぽけな小屋に住んでいた。二人の暮らしぶりがどれほど貧しいものだったか、当時まだ物心のつく前だった私にはよくわかっていなかった。私はよく大佐からはちょっとした小遣いを、夫人からはお菓子をもらっていたのだが、夫人からの贈り物は、彼女が私の母に、身体に良いからと子供たちにひまし油を飲ませるようしつこく口添えしたり、歯医者に連れていくようたびたび忠告していたことを知って、ありがたみが失せてしまった。私たち兄弟は、それ以外はいたって幸福な家庭で、平穏な日々を送っているのに、そうして横からいらぬ口出しをされることを苦々しく思っていたのである。
 カーデュー大佐はインド大反乱で受けた怪我の後遺症で身体が悪く、脚がとても不自由で、いつも辛そうにしていた。夫人は怒りっぽく、口を開けば、自分から上流夫人の地位と富とを奪った運命への恨み言ばかりだった。実際にカーデュー家はかつて羽振りがよかったのだが、それがどこかで一転して落ちぶれてしまったのだという噂だった。
 夫妻にはリチャードとジョージという二人の息子がいて、彼らは私の兄たちの遊び友達だった。私はまだ小さかったので、一緒になって遊ぶことはなかった。二人は寄宿学校を卒業した後に親元を離れ、根気と勤勉さだけで身を立てていった。リチャードは医学生になり、当時(一八七〇年代初め)の医学生の主流であった怠惰で粗暴な級友たちとはくっきりと対照をなしていた彼は、めざましい成績を収めて試験に合格し、実家に帰っても仕方がないし、かといって開業するだけの元手もないので、インド軍医部隊に入隊し、〈リック先生〉の愛称で呼ばれていた。
 弟のジョージは陸軍士官学校に入って士官候補生になり、自分以外に頼れる者はないのだからと勉学に励んで出世し、やがてインド駐留軍に派遣されて、そこで少佐に昇進してめきめきと頭角を現していった。彼はいつも〈ジョージ少佐〉と呼ばれていた。
 その輝かしい功績のおかげで、二人の人生は順風満帆だった。やがてリック先生は除隊して、インドの避暑地として有名なシムラーで開業医として成功した。ジョージ少佐は大佐に昇進した後、植民地統治下のインドで自治を許された藩王の一人に政治顧問として付き、英領インド政府内でもずば抜けて優秀な理事官の一人と目されていた。
 二人がたまに帰国する時には、年老いた両親ばかりでなく、私たちも一家そろって大歓迎した。二人は素敵なインド土産を持ってきてくれたし、それにその体験談のおもしろいことといったら! インドでのわくわくするような毎日の話、反乱軍や、毒蛇や、野獣や、疫病といった危険の数々――何度聞いても飽きなかった。
 やがて老カーデュー大佐が亡くなり、それから一年と経たぬうちにその後を追うようにして夫人も他界した。息子たちが結構な額の仕送りをしてくれるおかげで老後の生活はおおいに楽になったものの、夫妻は決して幸せではなかった。大佐は重い病に苦しんでいたし、そのうえ夫妻は大きなことから小さなことまで、本当に運に見放されていた。貯金を投資すれば失敗するし、その慎ましい自宅で何か植物を育てたり、動物を餌付けしたりしようとしても、雑草も生えず、鼠すら寄りつかないのだという。
 後始末のためにリック先生が帰国したが、それは気の滅入るような作業で、インドに帰る彼の顔は暗かった。自分の運はもう尽きてしまったから、インドに戻るのが恐いと、先生がそう言っていたのを覚えている。私たちには何のことやら理解できなかったが、あいにくその言葉は現実のものとなってしまった。一、二度、ひどい誤診をしてしまい、そのうちの一件の患者がとある藩王だったのが災いして、医師としての名声は失墜し、預金を投資していた銀行が破綻して貯金の全額を失い、挙げ句の果てに、リック先生は、独身だったのは不幸中の幸いだったが、ロンドン郊外でジョージ大佐からの仕送りで糊口をしのぐところまで落ちぶれてしまった。十年ばかりの目的もない不運な人生の果てに、彼は列車から転落死した。その悲惨な死が事故であったことに堂々と疑いを投げかける者もあった。
 リック先生の死後、運命の女神はその悪意の矛先をジョージ大佐に向けたようだった。大佐は後から赴任してくるインド総督たちからことごとく不評を買い、軍部における地位と影響力を失ってしまった。挙げ句の果てに、味方のはずのイギリス政府から梯子を外され、仕えていた藩王と対立してしまった。彼の任地である藩王国で起きた反乱は彼の管理上の失策、あるいは管理不行き届きと判断され、大佐は管理官の座を追われてアフガニスタンの国境に左遷された。この任務は不可解なことに完全なる失敗に終わった。インド人たちは軍人と民間人の別なく、誰も彼も彼のことを嫌っているような様子で、彼の部隊にいるわずか数人の忠実なシーク教徒たちの中で、大佐とともに帰ってきた者はたった一人しかいなかった。残りは殺され――それ以外の兵士たちは脱走同然で彼を見捨てていったのである。これは驚くべきことだった。というのも、リック先生が死ぬまで、大佐は軍人民間人を問わずインド人たちからほとんど神様のように扱われていたのだ。
 マドラスに戻った大佐は二度、奇跡的に暗殺を免れ、最後は退役して帰国し、夫人と二人の子供たちと一緒に、不当に安い年金で生活していた。この境遇の変化がこたえたのか、夫人は心を病んでしまった。娘は当時まだ知られていなかった盲腸炎が原因で死亡し、息子は落ちるところまで落ちぶれた挙げ句、幸いにもニュージーランドに移住し、それきり消息を絶った。
 この物語における私の出番はここからである。以前にも述べたように、ジョージ大佐は私よりも六歳か八歳年上だったのだが、しかしそんなことは、三十歳になり、ロンドンでそれなりに豪勢な独身貴族の生活を送っていた私にはどうでもいいことだった。ジョージ大佐はよく私の家に遊びに来て、私たちは二人で昔話に興じ、ときには一緒にささやかな散財をしたりもした。大佐はいつも陽気で、自分につきまとっている悪運のこともすっかり諦めているようで、語りぐさになるくらいの幸運の持ち主である私と一緒にいると、そのおこぼれに預かれるから、などと冗談を言っていた。確かに私には、健康と、十分な富と、そして決して裏切ることのない幸運の星という、頼れる味方がついていた。
 私が競馬で大穴を当てたある日のこと、今はもうなくなってしまったレストラン、〈聖ジェイムズ〉で、お祝いの豪華な夕食を食べながら、私は明るい調子で尋ねた。
「大佐にはどうしてこういう風にツキが回ってこないんでしょうね?」
「いいだろう、クレメント君。教えてあげよう。これまでもずっと、誰かに話したいと思っていたんだ」
 私はいささか怖じ気づいた。私の憧れのジョージ大佐は、彼の足に枷をはめ、彼の現在を損ない、未来に不吉な影を落としている、知られざる過去の暗い逸話を語ろうとしているのだろうか。
 しかしながら、大佐はそこで話題を変え、そして夕食後に私の家に行くのではなく、自宅に(リージェント公園の近くにあるみすぼらしいアパートだった)来ないかと言ったので、私はその誘いに乗った。
 そろってパイプに火を点けると、大佐はじっと座ったまましばらくの間火の入っていない暖炉を見つめていたが、やがて立ち上がって寝室に入っていった。戻ってきた時、彼の手には〈ナグプールのサファイア〉があった――それはかつて見たことのないほどに美しい宝石だった。紫水晶に見えたが、大佐いわく紫色のサファイアで、宝石商には〈東洋のアメジスト〉と呼ばれることもある貴石だという。