彼の者、我と同じ人間に非ざるがゆえに、我らともに歩むこと能わじ。我ら双方の肩に手をのせる仲裁者もなし。

 ゆえに、我が身に触れたる彼の者の杖を引かせよ。その恐怖もて我を怯えさせることのなきように。

 現在、十七世紀オランダの風俗画家ゴトフリー・シャルケンの手になる名画が一点、素晴らしい保存状態で残されている。彼の作品の特徴である緻密な光の表現が、一見したところではその絵の一番の見どころである。今私は「一見したところ」という言葉を使ったが、それはこの作品の真価は、それがどれほど優れていようともその技法にではなく、題材にこそあるからである。背景にはどこかの古びた教会とおぼしき建物の内部が描かれている。前景には、白いローブらしきものをまとった女性が一人立っており、頭巾が尼僧のベールのように顔に垂れかかっているが、しかしそれはどこかの会派の修道服ではない。女は手にランプを持っており、その光だけが、女の顔と姿とを照らしている。その顔には愛らしい娘が邪気のない悪戯をしている時に浮かべるような、弓なりの微笑が浮かんでいる。その背後には、消えかかった炎のぼんやりと赤い火影の届かぬ真っ暗闇の中に、フランドル地方の古風な衣装をまとった男が一人立っている。男は何かを警戒するように、片手を腰に帯びた剣の柄にかけ、今しもそれを引き抜こうとしているように見える。
 ときに、これは単に画家がその頭に浮かんだ想像の事物を組み合わせて描いたものではなく、実在の場面、実在の顔、実在の状況なのだと、なぜかしら見る者にそうした確信を抱かせる作品がある。この奇妙な絵にも、そこに描かれているのが現実の出来事であると思わせるような雰囲気が漂っている。
 そして、それは事実なのである。その絵はある奇怪で謎めいた事件を記録したものであり、そして、カンバスの大半を占める女性こそは、オランダ風俗画の巨匠ヘラルト・ドウの姪にして、ゴトフリー・シャルケンの初めての、そして私に言わせばただ一人の想い人、ローズ・フェルデルカウストの忠実な肖像なのだった。私の曾祖父がシャルケンのことをよく知っており、シャルケン本人の口からその絵にまつわる恐ろしい逸話を聞き、さらに形見としてその絵も譲り受けたのである。その物語と絵とは我が家の家宝となり、この絵について述べたついでに、もしよろしければ、そのカンバスとともに我が家に語り継がれてきた物語をここに紹介しよう。
 ゴトフリー・シャルケンほどロマンスのベールが似合わない者もいない。田舎者ではあるが油彩画に関しては卓越した技量を持つ彼は、今でこそ批評家たちに作品を高く評価されているが、当時はその無骨な物腰ゆえに絵画をたしなむ紳士淑女から疎んじられていたのだった。しかしながら、上流階級の中にあってとびきり粗野で、頑固で、だらしないこの男は、無名時代の、しかしより幸せだった頃に、謎と情熱に満ちた激しい恋愛物語の主人公を演じていたのである。
 青年時代、シャルケンはヘラルト・ドウのもとで修行をしていた。そして彼は、その冷淡な性格にもかかわらず、裕福な恩師の美しき姪にすっかり惚れ込んでしまったのである。ローズ・フェルデルカウストは彼よりもさらに若く、まだ十七にもならぬ少女で、もしも語り継がれたこの物語が真実ならば、たおやかで、えくぼが愛らしく、色白の肌と、金色の髪をしたフランダースの娘の魅力をことごとく備えていたという。若き画家の恋心は誠実で、熱烈だった。その飾らない想いは報われた。シャルケンは愛の告白をし、お返しにたどたどしい承諾の言葉をもらった。キリスト教圏のどこを探しても、彼ほど幸せで誇らしい絵描きはいなかっただろう。しかし、そんな彼の昂ぶる心に水を差すものがあった。彼は貧しく、無名だったのだ。画伯ヘラルト・ドウに、ローズとの結婚の許しを請う勇気はなかった。まずは画家として名を成し、財を築かなければならなかった。
 そういうわけで、彼の前には先行きのわからぬ不安と、厳しい修行の日々が横たわっていた。あらゆる困難を乗り越え、絵筆だけで道を切り開いていかなければならなかった。しかし、すでにローズ・フェルデルカウストの心は勝ち取っていたし、これで勝負は半分ついているようなものである。彼がそれまでに倍する意気込みで修行に励んだことは言うまでもなく、そして今も続くその名声は、彼の努力が報いられたことの証だった。
 しかしながら、こうした切磋琢磨の日々に、そしてさらに悪いことに、彼の意欲を高め、支えていた将来への希望に、突然の横槍が入ることになる――そしてそれは、真相を謎のベールですっぽりと覆い隠し、起こった出来事そのものにも超自然的な恐怖の影を落とすほどに、奇っ怪で謎めいた事件だった。